学力低下のために夏休みが減った東松島を憂いて、学力について語る3分。
こんにちは。東松島市地域おこし協力隊員のKATSUです。
先日、東松島市の小中学生の学力低下を受けて、市は夏休みを約5日間減らすことが決定しました。
→学力向上へ 夏休み短縮し授業日数増やす 東松島市教委(石巻かほく)
私には東松島のみならず、日本の教育そのものを憂いている部分があります。
私は2年前に大学を出た身なので、「今、子どもの頃の自分にアドバイスするならどうするか。」という視点から、私なりの意見を述べたいと思います。
1.学歴だけでは食べていけない時代
まずはじめにハッキリいいます。
これからの時代は学歴だけでは食べていけません。
立派な学歴を得て、大企業に入って万々歳な時代は終わりました。
なぜか?
AIを備えたロボット、IT革命で垣根の無くなった外国人労働者。
あなたより優秀なロボット、低賃金でも優秀な外国人労働者。
おまけにリモートワークまで可能です。
これらの利用が容易になっていくこれからの時代で、企業があなたを雇うメリットは何でしょうか。
私たち労働者はこれまでにない競争に巻き込まれます。
現にメガバンク3社で3.2万人削減決定が報道もされたのも記憶に新しいところです。
要は安定と見られた大手企業でも、AIの発達やグローバル化の流れの中では、ライバルの多い厳しい環境となります。
ー求められるクリエイティビティー
そんな中でこれからも必要とされる仕事は、創造的ーつまりクリエイティブーなものとなるでしょう。
何かを教えて「はいこれやってね!」という仕事はロボットか賃金の安い外国人に外注すれば良いわけですから、言われた作業しか出来ない人は真っ先にクビを切る対象になりますよね。
代替の効かないのはつまり何かを生み出す人。
新しいモノ。新しいサービス。新しいアイディア。
しかし、「与えられたモノ、教わったこと」をただただこなしていくような教育が、小中高どころか大学でもいまだになされています。
絶対的にモノが足りていなかった高度経済成長期なら、その教育をもとにした企業戦士が活躍したでしょうが、現代ではクリエイティビティやイノベーションなくしては日本は国際競争力を維持できません。
しかもイノベーション確率は人口に比例しますから、中国やインドはしばらく強いでしょうし、一方、人口減の日本の衰退は目に見えています。
では、何かを生み出す人に育てるにはどうすればいいのでしょうか。
2.小さいときからマーケティング的に人生を学べ
マーケティングはビジネスの基本です。
ある意味、いかにしてお金を稼ぐかという社会人必須スキルでもあります。
「マーケティングを学べ」ではなく「マーケティング的思考を持って物事を考える癖をつけよ」ということです。
マーケティングには答えはありませんが、有効な戦略を考えていく上では欠かせないものです。
有効な戦略を考える力がつくということはつまり
・自分の人生における戦略
・仕事における戦略
を考える力がつくということです。
モノが飽和している現代の仕事の課題は難しくなっています。
解決策が見つからないどころか、そもそも課題が何かわかっていないということもしばしばあります。
これらを考える力を身につける上で、受け身な教育でいいのでしょうか。
ーいかにして生きていくかー
一部の特殊な人を除いては、何かしらの仕事をしないと生きていけません。
これは人生において、最重要事項であると言っても過言ではないでしょう。
その割に自分の将来の仕事について考える機会が日本の小中高校生には少なすぎます。
自分の将来について、あまりにぼんやりと考える人が多すぎます。
「周りの人が言うから。」
「人気だから。」
「楽しそうだから。」
「なんとなく。」
就活が始まってから、自分の選択が誤っていることに気づいたとしたら、時すでに遅しです。
だからといって、「あなたの将来の夢はなんですか?」とかいう安易な質問を繰り返すだけでは不十分だと思うのです。
生徒みんなが「スポーツ選手になりたい」「Youtuberになりたい」と願望だけを口にして、「ではそれに向けて努力しましょう」というのが教育であるなら、「うちは年商1億円だけど目標は1兆です」っていうのと同じくらい馬鹿げた話です。
それが、マーケティング的思考を身につけ、自分の人生を戦略的に考えることができれば「自分の強み弱みはなんなのか。何が世の中で求められていてこれからの時代はどうなっていくのか。その上で自分が何を提供できて、学生の間にどのように市場価値を高めていけば良いのか。」という戦略を練る武器が手に入ります。
あくまで「将来の夢や好きなこと」というのは強みのひとつでしかなく、森全体を見て考えることによって、その選択の良し悪しやポジションが見えてきます。
厳しいことを言えば、食べていけるだけのカネになるか。
ここまで子どものうちから考えさせるべきでしょう。
汚い話に聞こえるかもしれませんが、お金を稼ぐ人がいなければ、国家は衰退します。
周りの空気を読んだり、出る杭を打っている場合ではありません。
このように戦略を練ってみた時に、どうしてもやりたいことが譲れないなら「どのように自分の価値を創造し、セールスをかければいいか」ということを一生懸命考えるでしょうし、逆に「なにもやりたい事が見つからない」という人でも、理想の生活スタイルなどはイメージできるでしょうから、現段階で進むべき最適解(一歩先の時代のニーズに合わせるなど)は得られるでしょう。
そうして得られた戦略の中になにかしらの「学習」は99.9%組み込まれてくるはずです。
ー最適解は人それぞれ違うー
ここで得られた個々人の最適な戦略は自主的に得られたものであり、尊重されるべきものです。
自主性を尊重するということは、教育現場が柔軟でなければならないということです。
全員横並びで、同じことをさせる。
そうして与えられたものだけをテストして、比較する。
こんな生徒の意欲を削ぐだけの教育は即刻やめるべきです。
その生徒の戦略によっては、友だちの数が大事かもしれませんし、趣味の方が大事になってくるかもしれないからです。
今後重要になるのは
「自主性」と「オタク性」と「意外性」
これは時代の流れを汲めば必然でしょう。
そして生徒のこの部分を肯定した時、学習に対するマインドは良い方向に向くはずです。
3.学力におけるマインドの重要性
学力は次の式で求まると思っています。
学力=才能×マインド×教員・教材・授業の質×勉強時間
この中で、才能は生まれ持ったものなので動かせません。
しかし、才能の差なんて実は微々たるものです。
英単語を全然覚えられないと思っている人でも、ゲームやアニメの内容には詳しいなんて人もいます。
一生懸命覚えたわけではないのにです。
これは、マインドの差が一番大きいでしょう。
つまり、「これは自分にとって必要で、必要だから勉強したい」と思える心であったり、
「何か新しいことを知ることは、贅沢で楽しいことだ」と思える心です。
このマインドを育てることこそ最重要です。
なぜなら、マインドが育てば勉強時間は勝手に増えるからです。
自分で必要性や楽しみを感じていたら、勉強時間やもしくは勉強に集中する時間が増えるのは当然といえば当然です。
教材の質には教員も含みますが、子どもたちは先生を選べません。
そして、先生や教材が、マインドそのものに影響を与えることもあります。
つまり、学力向上に重要なのは、
「教員・教材・授業の向上」と「生徒のマインド改善」
ーマインドの育て方ー
では、どうしたらマインドが育つでしょうか。
以下の3点が重要だと思います。
・まず、さきほどのマーケティング的な思考で自発的に人生戦略を立て、その未来を描いてワクワクすること。
・そしてその未来は叶うと信じていること。
・戦略を行動に落とし込み習慣化すること。
小学生とかで難しいのであれば、日常的に周囲の大人がそのような言葉をかけたり、質問を投げかけることが大事だと思います。
そして最後の習慣化というのは非常に重要です。
何故なら行動もまた、その人のマインドも作るからです。
「ちゃんとやっているんだから思った通りになって当然」という気持ちに変わってきます。
思考が行動をつくりますが、一方で行動も思考をつくるのです。
ー学力ではなく学習能力が大事ー
人は人生において、いつ自分にとって重要な選択を変えるかも分かりません。
経験、環境、出会い。そのキッカケは様々です。
違う選択をした時、大事になるのは、その時の学力ではなく、自ら学んでいくことの出来る学習能力です。
自分で課題を見つけ、自分の頭で考え、解決していく。
そんな教育環境が整っていくと良いなと思います。
ー東松島市の夏休み短縮ー
東松島市の夏休み短縮。これをどう捉えるかは人それぞれだと思います。
上記の式で述べたように、学力向上において、勉強時間の確保は必要なものです。
ただ、それはマインドや教育環境が整っていることが前提にあります。
このマインドが出来ている生徒で、かつ、学力が必要と感じている生徒には有効な施策でしょう。
「年間たった30時間増で何が変わるか」という意見もありますが、30時間で学べることは多いです。
しかし、一方でマインドが出来ていないとしたら、デメリットが目立つでしょう。
・マインドがないまま勉強時間を増やしても、学力はあまり向上しない。
・休みが減ることで、様々な経験の機会を奪う。
・子どもたちの「他の地域より夏休みが少ない」という不公平感。
学力が低いということは、そもそもマインドに問題がある可能性が高いです。
都市に比べて、学力の重要性を認識しづらい環境であるということもあるでしょう。
もしくは、震災の影響で、心になにかしら抱えているという可能性も大いに考えられるでしょう。
今回の対応は、私の目には「学力が低いからとりあえず授業を増やす」という安易なものに感じました。
目に見える数字の部分だけでなく、見えない授業の質や先生との信頼関係、生徒の感情まで考慮に入れてほしいなと思います。
日本の教育を一通り受けてきたあくまで一個人の意見ですが、未来の日本を担う子どもたちの教育現場を憂いて、今回の記事を執筆してみました。
子どもたち一人一人がイキイキと活躍できる大人に育つような教育現場が整っていくことを願ってやみません。